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高島平9条の会

 

 

祝ノーベル賞受賞
お代官様でもあるまいに、このような理不尽は絶対に許せません!―「つどい」スタッフ―2024.12 ―
2024年10月20日開催予定の【20周年記念行事「映画と対談のつどい」】中止(延期)の波紋はとても大きいものでした。

当日には、中止(延期)を知らずに会場を訪れた方が60名にも及び、中には2時間も費やして横浜や埼玉の桶川市からご来場くださった方もおられ、スタッフ一同ただただお詫びする以外に対応のしようがありませんでした。

6カ月もかかって準備した「つどい」が、開催直前に石破氏(自民党)の都合で「期日前投票所使用」を理由に、何の対案も補償も示さず会場使用許可を取り消すなどは、市民の自由な文化活動を阻害するもので、行政としては絶対に行ってはならないことです。
私たちは、それでも公の選挙だからとせめてもの実費補償を要望してやむを得ず受諾 し、中止対応に追われる日々を過ごしました。
ところが、行政(区)側の対応は、当日に中止(延期)用紙(ポスター大)の掲示2枚と、要望してあった机とイスを用意しただけという、お粗末なものでしかありませんでした。
又、実費の補償に対する何の回答もありませんでした。11月半ばに、再度実費補償を求めたところ、区の選管から「補償はできない」との回答があり、私たちを唖然とさせました。まるで「お代官様」の対応です。
区の都合で開催を中止させ、挙句は実費の補償もしないなどは、理不尽以外のなにものでもありません。皆さんはどう思われますか? 私たちは今、このような理不尽は許せないと、対応を検討しているところです。泣き寝入りなどは絶対にいたしません。

「高島平九条の会」のご案内。

当会は、大江健三郎さんら9人が、2004年6月に結成した「九条の会」の呼び掛け(アピール)に応じて、2004年11月3日に結成総会を開き、「高島平九条の会」として活動を始めました。
(詳しい経過はこのホームページのアーカイブ1襴をお読みください。)

当会には、いろいろな人が入会しています。現役で働いている人も退かれた人も大勢参加しており、いろいろな分野で数多くの経験を重ねてきた人たちが、その経験を会の活動に生かしています。

3カ月ごとに発行する会報「高島平自由通信」には、会員や準会員・会友などが投稿し、自由に意見を発表したり闘わせたりしています。もちろん、戦争体験も大事な記事として、その体験記を記憶の財産として掲載しています。
得意の短歌や俳句・川柳などで自分の思いを表現して、活動に参加している人たちもいます。趣昧の絵手紙や写真で、会員の心を癒してくれる人も参加しています。詩作で自分の過去を振り返っている人もいます。

このホームページには、多くの会員たちの思いが込められています。このホームペー ジをご覧いただく皆様には、当会の自由闊達な雰囲気をご理解いただけると思います。
そのためにと、一緒に行動できる多くの仲間を求めています。

「高島平九条の会」発足時の呼びかけ・・・2004年10月
私たちは、戦争、病気、貧困から逃れたいと考えます。
私たちは、人類の生存を阻害するこの三つの要因を排除することが、人類の尊厳を守ることであると堅く信じます。
私だちが信じるこの考えは、現日本国憲法前文にも、日本国民の普遍の決意であるとうたわれており、日本国憲法は人類の崇高な理想として、世界各国から賞讃されています。

ところが今、その憲法を変えようという動きが、イラクヘ自衛隊が派遣された事などは言うまでもなく、激しくなっています。
以前から「自主憲法制定」などを主張してきた自民党が改憲案を提案すると明言し、民主党も競うように提案の構えをみせています。
アメリカからも「日本の憲法九条が日米同盟の妨げになっている」などという声も聞こえており、改憲の動きに拍車をかけているように思われます。

そうした中で、九人の学者、文化人の方が発起人なって、「九条の会」が結成されましだ。
「九条の会」は、日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手ををつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人一人ができるあらゆる努力を、いますぐ始めるよう訴え、各地域・分野で「九条の会」に賛同する会をつくるよう呼びかけています。

平和な世界と日本、そして平和で安全な地球を子供たちに遺したいと願うすべての 人に呼びかけます。 まず、集まりましょう︕ そして、何ができるか話し合いましょう ︕

2004年10月

高島平九条の会 準備会<呼びかけ人>
貝吹栄三、古林 勉、佐々木順二、須永日出子、中村寿二、兵頭 稔 、他1名 (五十音順)

「高 島 平 九 条 の 会」 会 則
1、名称 「高島平九条の会」と呼びます。
2、目的 日本国憲法第九条の改変を阻止すること。
3、会員 「九条の会」のアピール及びこの会則を承認する個人で構成します。
4、運営 会員の互選による世話人会がこの会を運営し、世話人会のもとに事務局を置きます。1年に1回、総会を開きます。
5、活動
① 「九条の会」など、この会の目的を同じくする個人、団体と連携し、交流を図ります。
② 集会、学習会を開催します。
③ 目的を達成するため、会員の合意に基づいて必要な行動を起こします。
6、財政
① 会の財政は、会費及び寄付金などによってまかないます。
② 会費は年間500円とします。
③ 会計年度は、2004年以降毎年11月1日から10月31日までとします。
7、今会則は、2004年11月3日から施行します。
父の戦争体験—第2回(編1)---馬より安い人の命---浅尾務(1978年12月記)
召集令状を手に指定の部隊に急ぐ。一歩、部隊の衛門をくぐると同時に、今で言う人権はすべて剥奪され別世界の人間となる。社会で通ることは全て通らなくなる。理屈が通る社会ではなく、無理の通る社会へと早変わりする。
古参兵に悪いのがいて、新しく入隊した新兵に自分たちが上官に叱られた腹いせに、夜になると、「新兵集合」との号令を出す。
「どこそこに集まれ」と指定しないものだから、新兵がまごまごしていようものなら、それを理由に全員が往復ビンタを食わされ、よろけようものなら、「精神がたるんでいるからだ。鍛えてやる」と全員にまたビンタ。

これに対し理屈でも言おうものなら、半殺しの目にあわされる。新兵はどんなことをされようとも一言半句、文句も言えない弱い立場にある。これが軍隊だ。 古参兵は理由もなくビンタを食らわせるが、ビンタは軍人精神をたたきこむ手段だと平然とぬかす。このような悪兵に古参兵の誰一人として止めさせようとはしない。むしろこれを見て楽しんでいるようにも見受けられる。
「貴様ら一人や二人ぐらい死んでも、一銭五厘の葉書を出せば兵士はいくらでも集まる。貴様たちは軍馬以下の値打ちしかない」と毎日耳にタコが出来るほど聞かされ、生きた心地がしない。食事にしても古参兵には多く盛り付けなければ機嫌が悪く、気がきかないとまた、ビンタが飛んでくる。これも我慢するしかない。顔の形が変形するほど制裁が加えられる。
各中隊への食事配分量は決められているので、古参兵に多く盛り付けると新兵の量が少なくなる。新兵は常に腹ペコで泣き暮らさなければならない。その上、空腹のままで軍事教練にかり出され、元気がないということで、炎天下に直立不動の姿勢で数時間も立たされ、教練から帰ると、「よくも我が中隊の恥をさらしたな」と鉄拳の制裁を受け、「罰として夕食は食べてはならん」と申し渡され、制裁が加えられる。
上官の命令はことの如何を問わず直ちに服従すべし。こんな処に上官の命令が出てくる。夕食は絶食の制裁が加えられたので食べることは出来ないが、教練で汚れた古参兵の洗濯物の処理、食事当番と息つく暇もない。起きてから寝るまで機械のように働き、精神的緊張の連続でもあり、鉄拳制裁の連続でもあった。

まさに人命軽視はこの世の生き地獄の様相を呈していた。こんなことは一例に過ぎず、これが軍隊の実態だった。再度、この世の地獄を再現する。                   私は有事立法には反対だ。

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