上映された映画「教育と愛国」は、日本の教科書に歴史の修正が急速に加えられ、日本が再び戦争への道を歩んでいるのではないかと言う危惧を語った傑作で、日本映画ペンクラブ・文化映画ベスト1(2022)を始めとして数々の賞を受賞した作品です。
映画を見た後、ジャーナリストの青木・ 理さんと文・聖姫さんとの「対談」では、現代の日本社会の「戦争と平和」の数々の認識の問題点を語り合いました。
会場の高島平区民館ホールは、参加者で埋め尽くされました。
この集会:「映画と対談」から学んだ約300名の参加者は反戦の意を固くした様子は、参加者の「 感想 & アンケート 」にはっきり表れています。
歴史を書き換えられるとこういうことになっちゃうわけだ」。これには沖縄の自民党もふくめて強い批判を受けた。
結局、謝罪することになったが、その謝罪の弁は“TPOを欠いた”というものだ。批判されているのは発言内容なのに、それは取り消していない。西田氏は筋金入りの改憲論者でもある。
さらに西田氏は産経新聞社「正論」7月号で「『日本軍は悪、米軍は善』という東京裁判史観そのものだ」とも主張している。
「東京裁判史観」というのは歴史修正主義者が使う言葉だが、30年ほど前から「自虐史観」とも言われるようになってきた。どちらも同じ
類だが、特徴は進歩的価値観や実証主義に基づく歴史への評価を変えてしまおうとするところにある。
驚くには当たらないが右派政党・参政党の神谷宗幣代表も「日本軍が沖縄の人たちを殺したわけではない」と述べて物議を醸した。
80年前の6月23日、20万人余の命を奪った沖縄戦が終結した。沖縄県民にとって筆舌に尽くしがたい大きな惨禍だった。それだけに「政治家が事実をねじ曲げて発言してはいけない。
沖縄を侮辱するにもほどがある」と憤る声があがるのは当然だ。これらの言説は、今日のようなネット社会では容易に拡散されかねない。昨年の東京都知事選における石丸伸二氏、また兵庫県知事選で当選してしまった斉藤元彦知事のように予想外の影響力を持つ。
フェイクが蔓延するような社会はゴメンだ。
日本軍は昼なお暗き密林の中に、原始人 のように穴倉を掘り、仮眠していたのを敵が知り、常時敵機が頭上すれすれに飛び廻り、警戒し一人でも兵士が居ることが分か れば物量に物言わせ、数十機が飛来し爆弾 を雨あられのごとく集中投下され生きた心地はしない。
戦死者が続出し、ゴム林は裸にされ、生物ことごとく被害を蒙った。
わが方には飛行機なく、砲弾なく反撃し ようにも施す術もない。したがって夜陰に 乗じて敵地に切り込み隊を編成し、切り込みを実施したのであるがその都度、兵士の損耗が多く、これまた苦労の種であった。
野営地は爆撃され後片付けも出来ないので、次のゴム林を見つけて移動する。これも昼間は爆撃機が頭上すれすれに飛んでいるので、夜に行動する。昼間は飯金炊飯は出来ない。煙が上がれば敵の目標となるので、夜間に二食分くらいを炊くが、米を洗うにも水なく、手探りで水を探し、米をとぎ、穴を掘り、その中で外部に光が漏れないように、ロウソクで気長に炊く以外に方法はなかった。
炊飯最中に『敵機襲来配置につけ』の号令がくる。火を消して穴からはい 出して配置につくが、暗夜のため方向すら分からなくなり、 せっかくの食事にもありつけない。
夜が明けてまた水を探しに行くと、昨夜、水をといだ水たまりには死体が浮いていて、飯を食べる気にはなれない。
いつ爆撃されるか分からないので、四六時中、緊張の連続であった為、精神に異常をきたす者もあり、相手の豊富な化学兵器の前には、天祐神助や神風ら精神力だけでは勝つことは出来ない。
日本軍は乞食同然の姿であり、現地人に馬鹿にされたばかりでなく、現地では牛の食う米を食わされた。これも現地商社の悪らつなもうけ主義から兵士を犠牲にしたのである。
軍隊生活と言えば戦前の厳しい軍規と、上下関係に縛られた暗いイメージしか浮かんでこない。どれを取り上げても人権尊重などどこ吹く風かであった。
この実態を知ったならば、戦争に参加したいと思う者はいまい。再軍備をすれば、いつかは我々の子孫がこのような目に遭うことになるのでキナクサイ有事立法には絶対反対をとなえよう。