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日本被爆者団体協議会(日本被団協)ノーベル平和賞受賞から-----三枝タキ-2025年1月

12月10日、ノルウェー・オスロで日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。心から祝したいと思います。授賞式当日代表委員の田中熙巳さんが講演した内容全文が掲載されていました。

・田中さんの講演から
1945年8月、広島では14万人前後、長崎では7万人前後が犠牲になりました。田中さん自身は長崎で被ばくし、5人の身内を亡くしました。放射線被ばくし生き残った人は40万人あまり。被爆後も7年間は沈黙を強いられて来たと。1954年、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験で、1000隻もの漁船が被ばく。その事件を契機に原水爆禁止運動が広がり、翌年第1回原水爆禁止世界大会が開催され日本被団協も結成されました。

被爆者の運動で被爆医療法が制定され、その後、医療費等の支給等会保障制度として保障されています。原水爆禁止世界大会は今日まで続いています。被爆者たちが世界へ向けて発信・運動が今回のノーベル平和賞受賞につながったと思います。
私は働いていた頃、健康診断の事務の業務に携わり、『被爆者の健診』にも関わりました。板橋区内の「被爆者団体・板橋みのり会」の方々から、被爆時の壮絶な話や苦しみなど、伺い胸が詰まる思いをしました。

核兵器廃絶署名、原水禁世界大会への代表派遣への運動にも積極的に取り組んできたつもりでした。今回の田中熙巳さんの講演から、私自身の考えがかなり甘かったと思い知らされました。「被爆者援護法を拡充すれば良い」と思っていましたが、社会保障制度を拡充するだけではダメなのです。被爆者は国家補償を求めているのです。

今も直ちに発射できる核弾頭が、4000発もある現状を憂いているのです、被爆者の平均年齢87歳近いといいます。戦争被爆国の日本に生きる私たちが声をあげ、「核兵器禁止条約」を政府に批准させていかなければ…との思いを強くしています。

95歳・澤地久枝さん、正月3日に国会正門前で「9条守れ!」と訴える。

2025年新春国会前スタンディング正月3日、国会正門前には「戦争反対」「9条守れ」「辺野古新基地建設反対」「原発再稼働許すな」などのプラカードを掲げた人が大勢集まった。

九条の会呼びかけ人の、澤地久枝さん(95歳)や、憲法君でおなじみの松本ヒロさん、ジャーリナストの金平さん、「平和を愛する」多くの市民たちが、10年前の「安保法制強行採決」以来、毎月3日は国会正門前でプラカードを掲げてきました。
参加者250名、当会からは4名参加。お隣の韓国では尹大統領の「戒厳令発動」を市民が6時間で解除させました。
韓国国民が民主主義の大切さを肌で感じ声とコブシをあげ続けてきたからです。
私達も、澤地さんや韓国国民のように、「NO!WAR」の声を上げ続けましょう!

 

「守るべき人びと」---- 齋藤誠一 ---- 2025年1月

改憲勢力は、憲法が権力を縛るものから、国民に義務を強制するものに変えようとしている。
そもそも公務員は、採用の際に、
「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。」
との宣誓をしている。

しかし、「特別職」国家公務員の国会議員は、当選しても「宣誓」することはない。
憲法は、
「第九十九条天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
と、
憲法尊重養護義務を定めているにも関わらず、改憲勢力には見えないのであろうか。国会議員、各級議員にも「宣誓」させる必要があるのではないか。

今年の総選挙をはじめ、投票率は相変わらず低い。しかし、自公与党の過半数割れ、衆院で改憲勢力に3分の2を与えなかった国民の選択を、来年の参議院選挙での政治の転換とともに憲法を政治に生かすことにつなげていくため、より宣伝や対話を強めていくことが必要だと痛感している。

間もなく92歳ありがとう ---  石倉 領 --- 2025年1月

戦後80年・改めて平和への努力を私、昭和8年、長野県上田市生まれ。5人兄弟の末っ子。今、父母姉も兄も,皆他界した。私一人生き残っている91歳。
妻は昭和12年生れ。間もなく88歳。世間では目出たい年令。五人兄弟の長女。新橋田村町で生まれた。

今、弟が一人居る。私の長兄は陸軍に召集され、千島シベリア抑留三年を経て28歳で帰還。寒さに強く、この日本の寒さが「気持ち良いと」言った。
次兄は少年飛行兵、特攻隊に編入され突入寸前に終戦となり、朝鮮から帰ってきた。家族に戦死者は居ない。しかし父・兄達の苦労そして自分を含めて残された家族の苦労を思うとき胸が詰まる。ありがとう。

妻は小学生のとき、疎開先仙台で母親と幼い兄弟を連れて米軍の空襲下を逃げ、炎が目の前にせまるなか助かった。私も燃えさかる炎のなか家族と逃げ、広瀬川のほとりで助かった。共に昭和二十年七月十七日の夜、米軍の仙台空襲の中であった。
まもなく八月六日、広島に、九日長崎に原爆が落とされ、終戦となった。

終戦後、すさまじい食糧難-食べるものが全くない事態を妻も私も体験している。
妻と私の出合いは、その後の東京であり二人とも二十歳を過ぎた青春時代であった。二人の娘にめぐまれたが生活は楽ではなかった。

戦後80年二度と戦争はゴメンだ!
今又、戦争が進行中だ。ウクライナ、中東、アジアでは・・・しかも核戦争になる可能性も?
一方で被爆者がノーベル平和賞を受賞したことを大事にし、改めて世界から戦争が無くなり豊かな地球が生まれることを希う。

被団協のノーベル平和賞受賞と54年前の思いで --- 佐藤光信 --- 2025年1月
今年は、戦後と原爆被爆から80年。被曝80年を前にして、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞した。10年くらい前から被団協はノーベル平和賞の候補としてノミネートされてはいたが、「今年もダメだったか」で終わっていた。
被曝80年を前にして受賞したことの意味は大きく、年々被爆者が亡くなり、語り部が減少する今、核兵器全廃に向けた運動が飛躍するきっかけになったらと思う。

日本の原水爆禁止運動の出発点となったのは、1954年のビキニ事件。
アメリカが太平洋のビキニ 環礁で水爆「ブラボー」の実験を行った。 「ブラボー」は広島・長崎に投下した原爆のおよそ1000倍と言われており、死の灰はマーシャル諸島や周辺海域で操業していた日本などのマグロ漁船に降り注いだ。
焼津港を母港とする第五福竜丸などの被害が知らされることで抗議の運動が全国に広がり、1955年に原水爆禁止日本協議会(原水協)の結成、1956年被団協結成へとつながった。

1958年から始まった原水爆禁止国民平和大行進。今では全国各地を網の目のように行う行進だが、私は1970年の大行進で東京~広島間を代表通し行進者をつとめた。70年の原水爆禁止世界大会は東京で開かれたため、広島から東京に向けて歩いた。
その時私は若干23歳、新幹線は運賃が高いため在来線に一人乗り、胸が張り裂けそうな心配をしながら長時間かけて広島の地を初めて踏んだのを覚えている。
原水協からは「途中から全学連の通し行進者が合流するから」と聴かされていたが、通し行進は最後まで私一人だった。
行進はその土地の事情で人数が多かったり少なかったりするけれど、県区市町村ごとに私以外の人はほとんど入れ替わる、一日の出発と到着時、私以外が交代するたびに引継ぎの集会が開かれ、その都度通し行進の私が挨拶をしなければならない、
集会の参加者が変わるのだから同じ挨拶をしても良いかとも思うが、何故かそれができない、引継ぎから引継ぎまでの間で起こった事や沿道の反応などをメモし、毎回変化のある挨拶に苦労した思い出が甦る。

20周年記念「映画と対談のつどい」報告--- ホームページ担当 --- 2025年5月
当日(07.5.25)上映された映画「教育と愛国」は、日本の教科書に歴史の修正が急速に加えられ、日本が再び戦争への道を歩んでいるのではないと言う危惧を語った傑作で、日本映画ペンクラブ・文化映画ベスト1(2022)を始めとして数々の賞を受賞した作品です。
それを基に、ジャーナリストの青木 理さんと文・聖姫さんとの「対談」では、現代の日本社会の「戦争と平和」の数々の認識の問題点を語り合いました。

会場の高島平区民館ホールは、参加者で埋め尽くされました。
「映画と対談」から学んだ約300名の参加者は、驚きとともにこのままの進行を許してはならないと、だれも決意を堅くして会場を後にした様子です。

# 参加者感想とアンケー結果は、その参加者の決意を示すものでした。(次号発表予定)

いつまで続けるアメリカ追随   倉谷順一  2025年4月
米のトランプ大統領の暴走が止まらない。
就任して最初の仕事が世界保健機関(WHO)と、気候変動に関する国際的な枠組みであるパリ協定からの脱退、トランスジェンダーの権利にたいする権利の撤回、連邦職員の雇用凍結、政府効率化省の設立、さらに4年前の米連邦議会襲撃事件で侵入して逮捕された暴徒全員の恩赦etc...

5日に発動された全世界からの輸入品に課す「相互関税」で日本にも24%の関税がかかる。石破首相はトランプ大統領との会談で27年軍拡を勝手に約束するなどご機嫌取りに励んだ。そして関税対策として「日米同盟日本は関税を免除に」と言わんばかりに財務大臣が訪米して会談したが軽くあしあしらわれ、日本は「恥をかきにアメリカに行った」と批判された。

アメリカの忠実な同盟国・日本の“努力”は水泡に帰した。日米軍事協力でもトランプ政権は日本に防衛費「GDP3%」を要求するが、みずからは「財政節約」のため「在日米軍強化予算を削減する」と言う。「節約を言うなら日本から米軍基地をなくせばいいじゃないか!そうすれば、タダになるのに」と言いたい。

アメリカの「落日」は国際的な世論になりつつある。なのに「日米同盟の強化」と言って “アメリカ言いなり”を強める石破政権の対応は“滑稽”であり情けない。「米国第一」のトランプ政権から自立しないと日本の国際的信用はさらに失墜するだろう。

夫婦それぞれで一人街宣(スタンディング)  星 正志 2025年4月
3月22日(土)、高島平区民会館ホールにて「高島平住民集会」が開かれた。集会は200名の参加者でもりあがり、発言者の意気込みとその前向きの姿勢に、参加者の誰もが集会の成功を感取っていた。
集会は板橋区の「高島平二丁目三丁目周辺地区地区計画(案)」の見直しを求める住民大会的性格のもので、この運動を進めている二つの自治会を応援しようと、自主的に立ちあげた「住民参加のまちづくりを考える会@高島平」主催によって開かれた。

私は、その「会」呼びかけ人の一人。この運動は、直接自分たちの生活(日照やビル風、景観、110mの威圧感、道路変更による安心安全への不安など)にも関わることなので、何の不自然さもなく、声をあげ続けることができている。自分の要求であり、自分のための闘いでもあるからだ。だから毎日が真剣だ。私たち夫婦のしていることは、都知事選で多く見られた一人街宣(スタンディング)といった宣伝だ。計画地のそれぞれ別の場所に立ち、ポスターなどを手に掲げたり、自転車に掲示したりして無言で立っているあのスタイルだ。
現在雨の日を除いて45日間ぐらい立ち続けている。毎日1時間から1時間半ほど立っている。
はじめ、何をしている?と不信の目を向けていた人たちが、住民大会に参加するようになるまでには、「会」の宣伝と話し合いが必要だった。 一人二人と話し合ううちにその話し相手が増えて、おそらく夫婦で150名ぐらいの人たちと話し合ってきたのではなかろうか。もちろん、新聞やTVの影響が大きかったことは間違いのないこと。一晩にして「まち」の雰囲気が変わったのだから、その影響力が分かろうと言うもの。
山名夫妻が始めたこの街宣スタイルは、引き継いだ私たちの継続で、漸く花が開いた感じがする。立ち続けていると、大げさではなく「まち」の様子が見え「まち」のざわめきが理解できるようになる。
立ち続けて分かったことは、自分の住む「まち」が既に「ふるさと」になっていること。 不思議だが、初め寒さなどで辛かったこの一人街宣が、今は楽しくさえある。
とにかく話し合えることが楽しいのだ。今まで会釈すらしていない人たちとの会話は、想像以上に楽しい。新しい発見もある。
この楽しさ発見が、私たち夫婦を今も立ち続けさせている「エネルギー源」らしい。住民運動とは「話し合い」の継続運動なんだと、今は思えるようになった。
だから話し合いをするために立っている。この話し合いの中から、「見直し運動」の何かを見つけようと今も立つ。必ず見つかるはずだと。

トランプ氏に付従う世界に恥ずべき石破首相 秋山晃  2025年4月
1月20日、トランプ氏は大統領就任演説を行いました。世界のルールも国際協力を無視した無視 した自己都合最優先の姿勢です。平和の問題では、ウクライナ、中東への言及はありません。それどころか「世界がまだ見たことも無い、最強の軍隊を構築する」と宣言、国際協力の問題では、パリ協定からの離脱や世界保健機関からの脱退を表明し、大統領令に署名、又関税も引き上げると表明しました。

アメリカの温室効果ガスの排出量は世界2位で大問題です。更に化石燃料で利益を上げるとして環境規制を緩めると表明。アメリカは世界保健機関への最大の資金拠出国です。感染症拡大拡大対策などに懸念の声が上がっています。
トランプ氏は「アメリカ第一主義」「移民の強制送還」などを強調。移民問題では、国家非常事態を宣言し、国境に軍を派遣すると明言しました。国際社会は、国連憲章や国際法に基づき平和の構築、核兵器をはじめ非人道兵器の廃絶、気候危機打開、持続可能な社会などを目指して共同で取り組んできました。

「アメリカ第一」を押し付ければ同盟国でさえ矛盾を深めます。グリーンランドを領有するとデンマークを脅し、軍事費5%への引き上げ要求も同盟国に不信を拡げています。パナマ運河の奪還や「カナダ51番目の州」「メキシコ湾をアメリカ湾に」などと領土の拡大は、国際社会では絶対に許しません。
これらの問題で何一つ批判も抗議もしないのが石破首相、世界でも恥ずかしい日本の首相、世界では多くの国がトランプ氏を批判、抗議を行っています。石破首相はトランプ氏の就任祝辞で「日米関係の更なる強化で緊密に協力していきたい」と表明しました。しかし今やるべきことは、対等平等な日米関係の転換で戦争準備ではありません。

2月4日、トランプ大統領はホワイトハウスでイスライルのネタニヤフ首相と会談しガサ地区について「180万人のパレスチナ住民を強制移住させる、アメリカは同地区を長期に所有する」と表明、この発言に対し岩屋外相は「注視したうえで対処を検討したい」と無責任な態度です。石破首相は「ダンマリ」で世界に恥をさらしました。
2月7日、石破首相はホワイトハウスでトランプ大統領と会談しました。会談後の共同声明では「日米同盟の抑止力と対処力のさらなる強化」を宣言し「27年度以降も抜本的に防衛力を強化していく」と約束したことは重大です。
22年12月に閣議決定した防衛力整備計画では「27年度以降は安定的に防衛力を維持する」としていました。これは防衛力の安定的維持から抜本的強化に変わったという事です。
石破首相はその理由として「日本をとりまく安全保障環境が戦後最も厳しい」としています。戦後最も厳しいレベルにあるのは、国民の命と暮らしと権利ではないでしょうか。
平和も暮らしも壊す大軍拡は中止し、東南アジア諸国連合が実践している徹底した対話の積み重ねで東アジアに平和をつくる9条を生かした外交こそが必要です。

石破首相はこの会談で戦争準備のための大軍拡要望には100%受け入れ、先の大統領就任演説での暴言や、ガサ地区に関する暴言には何一つ批判せず「卑屈で危険な日米同盟絶対」の姿を露呈しました。
どこの国の首相か?平和と国民生活を守__るため、石破首相にはサヨナラを。  

「二十歳のつどい」で9条守れ!のチラシ配布  恒例お祝い行動  2025年1月13日」

高島平区民館前で、四つ折りにしたチラシを半分に畳んでティッシュに入れ、晴れ着・袴姿・背広姿の「二十歳」の若者たちに、「おめでとうございます!」と声をかけながら手渡す。
渡す方も受け取る方も皆笑顔。
この国の未来を託しますよとの願いめたティッシュ100ケは、30分で手渡し終了。
来年は倍必要かなと仲間と笑み.....。毎年の恒例活動だ。
晴れ着や袴姿での「スマホのながら歩き」はやめて! 

都知事選の石丸・103万の壁の玉木・N党立花に支えられた兵庫の斎藤知事再選などは、SNSのフェイクニュース弊害が齎した結果。二十歳の皆さん、真実を見極めて下さい!
「いいね」に惑わされないで。今年は、参院選も都議選もあります。選択を誤らないで下さい、「改憲」」を急いで「戦争容認」の政治家には×を! 

父の戦争体験—第2回(編1)---馬より安い人の命---浅尾務(1978年12月記)
召集令状を手に指定の部隊に急ぐ。一歩、部隊の衛門をくぐると同時に、今で言う人権はすべて剥奪され別世界の人間となる。社会で通ることは全て通らなくなる。理屈が通る社会ではなく、無理の通る社会へと早変わりする。
古参兵に悪いのがいて、新しく入隊した新兵に自分たちが上官に叱られた腹いせに、夜になると、「新兵集合」との号令を出す。
「どこそこに集まれ」と指定しないものだから、新兵がまごまごしていようものなら、それを理由に全員が往復ビンタを食わされ、よろけようものなら、「精神がたるんでいるからだ。鍛えてやる」と全員にまたビンタ。

これに対し理屈でも言おうものなら、半殺しの目にあわされる。新兵はどんなことをされようとも一言半句、文句も言えない弱い立場にある。これが軍隊だ。 古参兵は理由もなくビンタを食らわせるが、ビンタは軍人精神をたたきこむ手段だと平然とぬかす。このような悪兵に古参兵の誰一人として止めさせようとはしない。むしろこれを見て楽しんでいるようにも見受けられる。
「貴様ら一人や二人ぐらい死んでも、一銭五厘の葉書を出せば兵士はいくらでも集まる。貴様たちは軍馬以下の値打ちしかない」と毎日耳にタコが出来るほど聞かされ、生きた心地がしない。食事にしても古参兵には多く盛り付けなければ機嫌が悪く、気がきかないとまた、ビンタが飛んでくる。これも我慢するしかない。顔の形が変形するほど制裁が加えられる。
各中隊への食事配分量は決められているので、古参兵に多く盛り付けると新兵の量が少なくなる。新兵は常に腹ペコで泣き暮らさなければならない。その上、空腹のままで軍事教練にかり出され、元気がないということで、炎天下に直立不動の姿勢で数時間も立たされ、教練から帰ると、「よくも我が中隊の恥をさらしたな」と鉄拳の制裁を受け、「罰として夕食は食べてはならん」と申し渡され、制裁が加えられる。
上官の命令はことの如何を問わず直ちに服従すべし。こんな処に上官の命令が出てくる。夕食は絶食の制裁が加えられたので食べることは出来ないが、教練で汚れた古参兵の洗濯物の処理、食事当番と息つく暇もない。起きてから寝るまで機械のように働き、精神的緊張の連続でもあり、鉄拳制裁の連続でもあった。

まさに人命軽視はこの世の生き地獄の様相を呈していた。こんなことは一例に過ぎず、これが軍隊の実態だった。再度、この世の地獄を再現する。                   私は有事立法には反対だ。

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