BLOG-2 (2014~2015)

 

2014年 ブログ アーカイブ

2014年 九条の会の活動

第二次安倍政権の蛮行により、改憲に向けての政治情勢が緊迫してきた
1月12日  第107回例会 依田英助さんの朗読で新年の幕開け、10周年記念行事の実行委員の選出
3月9日  第109回例会 「憲法9条は訴える!」のDVD上映
4月13日  第110回例会 集団的自衛権の学習 「高島平自由通信」創刊 担当高野さんに決まる
5月11日  第111回例会 年会費の500円から1000円への改定案否決
11月9日  「高島平10周年のつどい」 於 高島平区民館3階ホール 195名参加
第一部 石倉さんフルートと依田さんの朗読、地元子供たちの太鼓
第二部 高遠尚子さんの記念講演
12月14日 第11回総会と第117回例会

 

2014.4 「立憲主義とは」・・・ 松本 佳久(自由通信創刊号)

最近新聞などで立憲主義という言葉がよく使われています。
「立憲主義にもとづく憲法ってなに」と聞かれて即答できる人は、憲法や法律などに関心のある方だと思います。
「立憲主義」とは「国民の権利や自由を保障することを第一の目的として、権力者を拘束する原理です」、国家は「権力」を持っています。
国民は決められた税金を納めなければなりません。徴兵制があれば兵隊にならなければなりません。このように権力によって国民を従わせるのが国家です。

「憲法」は、あくまで国家権力を制限し、国民の自由と人権を侵害させないようにすることを目的としています。
憲法第99条では、天皇、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員に憲法の尊重擁護義務を謳っています。
つまり国民の側から国家権力を縛るのが憲法です。
しかし、憲法の中に三つだけ国民の義務が記されています。知っていますか?
それは、教育の義務、納税の義務、勤労の義務です。

その他のことは、国民生活を維持するために、政令・省令・条例などを定め、国民にはその維持のための遵守を求めています。
日本は、先の戦争の反省から今の憲法を制定しました。立憲主義は、その反省と国民の総意によって導かれたこの国の大切な柱です。

・・・投稿者の了解のもとに、一部訂正や追記の部分があります。・・・・

2014.7 「”集団的自衛権と憲法九条”ー大江健三郎氏講演を聞いて」・・・ 伊庭 嵩(自由通信第2号)

(井上ひろしさん)

わたしは、ふだん電話には出ないのですが、家人から「加藤周一さんからよ」の声に「出る出る」と出ました。これが始まりです。
加藤さんから、憲法9条を守る会のようなものを作りたいのだが、誰かほかにふさわしい方を推薦してくれないかとの頼みでした。

わたしはさっそく賛同して井上ひさし氏を物事を根本から考える人だからと紹介しました。

ところが加藤さんは彼をご存じなかった。のちほど、ひょっこりひょうたん島などをごらんに なったらしく井上ひさしって面白いねえとおっしゃってきた。 そして九人が集まって九条の会が出来ました。 10年前のはなしです。

それから今わたしはこう思っています。
「わたしは小説書きの大江です」と自己紹介してきましたけれど小説の方は昨年で締めくくりましたので、これからは「九条の会の大江健三郎です」ということにしていますと。

以上が、わたしが直接聞いた大江健三郎さんの6月10日・渋谷公会堂・九条の会主催の発足10周年講演会での講演の印象で、その毅然とした姿が目に焼き付いています。
開会前、よびかけ人の会議で今日の3人(大 江健三郎・奥平康弘・澤地久枝)は会場ががらがらだったらどうしようと心配していたそうです。
ところが2,000人の聴衆で会場はいっぱい、熱気につつまれていました。
3人の申し合わせで、この間亡くなった方々にも触れるということで、井上ひさしさん・ 小田実さん・加藤周一さんは大江さんが、集団 的自衛権をぶっつぶすということで奥平さんが、 三木睦子さんのことは、澤地さんが触れられ、 梅原猛さんと病床の鶴見俊輔さんからのメッセー ジも紹介されました。
この九人に励まされ、わたしも奮闘したいと決意をあらたにしたところです。

「父からの贈りもの九条」・・・堀井 仁子
昭和56年、84才の父は食道癌で死んだ。 介護制度もなく、自宅を離れたくないと云う父の意向を尊重し、胃ろう、輸血他管だらけではあったが自宅介護にふみ切った。
その状態の中で父は、毎日赤旗を始め5紙の新聞に目を通し、世界の政治経済天候等を私たちに話して聞かせた。
その父の遺言 は「遺産は新憲法に基づき、6等分」と・・・

しかし、最大の遺産は「新憲法」だと私が悟ったのは、今から9年前、高島平九条の会にめぐり合った時からだった。
日本国民は、正義と秩序を基調とする・・ で始まる「第九条」は私の、日本の、世界 の大切な宝物であり守り育てて行く事は、次の世代へそのまま引き継がねばならない 義務と責任を有するものだと強く思っている。
その思いを共有するお仲間と共に、もっともっと輪を広げてゆこうではありませんか!

2014.10 「7月19日・首都圏横田米軍基地に オスプレイが初飛来」・・・高野 (自由通信第3号)

当日、首都東京・初飛来に多くの平和団体は滑走路下の公園で抗議を行った。

米軍は岩国基地から北海道に飛行するため、行きと帰りに、給油目的で立ち寄ると説明。 しかし本当の狙いは、既成事実作りで国民に早く慣れてもらうこと。その後も横田基地を始め全国で一般公開しているのはそのためだ。

オスプレイは 2年前の7月に山口の岩国基地に12機が陸揚げされた。10月には沖縄普天間基地に強行配備、現在は24機となっている。
オスプレイはヘリコプターより高速大量長距離輸送が可能だが 構造上、不安定な欠陥機。訓練飛行や実戦で墜落事故などが多発、31人が死亡し多くの重軽傷者を出している。

このオスプレイを防衛省は18年度までに17機、購入予定と発表。一機100億円以上するという。 政府は「離島の災害支援、急患輸送に能力 発揮する。領土防衛にも重要な装備だ。」と説明。
“怒”戦争の道具は日本のどこにもいらない!

中山千夏のコラム「殺すな」・・・伊庭

東京新聞の編集部へ手紙を送った。
東京新聞の読者であること、2014.5.24 の夕刊一面のコラム「紙つぶて」欄で作家中山千夏の「殺すな!」を読んだこと、それに感銘をうけたことなどを送った。
それにはこうしめくくられていた。 「・・うちの憲法第九条はその優れた試みだ。 原発よりはるかに貴重な財産だ。それを理論でねじ曲げ、参戦の道具にしようとする政権は、非科学的な殺し屋集団に他ならない。」
私は快哉を叫んだ。まさにそのとおりだ。後日、はがきが届いて思いが伝わったことを知った。
中山千夏の事務所のSと申します。東京新聞の担当者からお手紙いただきました。コラム、読んでいただいてありがとうございます。中山も伊庭様からのお便りとても喜んでおりました。・・」終わり。

 

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「10周年のつどい」参加者の感想文とアンケート結果・・・高島平九条の会事務局
(挨拶する佐々木順二さん)

昨年の11月、高島平九条の会「10周年のつどい」にご参加いただきましてありがとうございました。
195人の参加で56人からアンケートのご協力をいただきました。アンケートのご意見感想の中に、少なくない方々から「子どもたちの勇音太鼓に感動したが、長すぎたのでは?高遠さんの話をもっと聞きたかった。」と言うご意見が多々ありました。今後の参考にさせていただきます。
みなさまから寄せられたご感想をご紹介させていただきますが、紙面の都合上一部だけしか載せる事が出来ませんでしたのでご了承ください。

● 憲法前文の朗読はしっとりとしていて良かった。講演はとても分かり易く良かったです。現状を知らないことはとても怖いから、いろいろ知ることの大切さを感じます。誰もが持っている残虐性を抑えられている基礎に平和憲法があること、9条のイメージは世界では理解されていない、もっとアクションを起こすべきは納得です。(70代・女性)

● 戦争・テロ・空爆のない日本に46年間生きてきた私にとって、同世代である高遠さんの話は、驚きと共に彼女の感性と行動力の高さに感服しました。言われたことを、言われた通り生きてきた平和ボケ世代の者にとっては、成長の機会を高遠さんが与えてくれたよう感じました。 (40代・女性)

● 厳しいお話でした。集団的自衛権容認反対デモ、安倍政権打倒デモ、差別反対を掲げた東京大行進など、背中を押されるような動きもありますが、高遠さんのおっしゃる通りがけっぷちと言う認識で、出来る事をしなくてはと思いました。(30代・女性)

● 「平和国家の戦争」という自衛隊に対する世 界の見方がショック。「9条を実践する」段階というこ とが、よくわかりました。(60代・女性)

● 日本の中の情報が世界状況に「どんかん」であるのがわかりました。こわい話です。中東諸国の日本を見る目が変わってきている事と、NPO団体やその他の支援組織が活動できなくなって行くのは平和国家の役割がなくなると思いました。(60代・女性)

● 高遠講演から大きな衝撃を受けた。「9条の 会」への提起を受け止め、国際的に影響、特にイラク戦争の実状を訴え「生活支援」「教育支援」「子ども支援」を取り組んでいく方向を打ち出したらどうか。 (70代・男性)

● 「現実」ということを深く感じました。なんのかのといって、やっぱりマスコミの論調に影響されていたのだと思います。毎日ではないのですが、新聞の読み比べをしていましたけれど講演を伺って、実際の体験がいかに真実を語るかと知りました。(70代・女性)

● やはり情報が片寄っていると思っていたが、鎖国までとは思っていなかったがいよいよ安倍政権を倒すしかない!と思いました。生き方がすばらしい。(60代・女性)

● 「勇音太鼓」小さい子の真剣な姿がとても良かった。これからの活躍がとても楽しみ。(70代・女性) ● 日本ではイラクのまともな情報が入ってこない。・・「ヒューマンライツ」で探して下さ い。そしてインターネットでも入らない情報は足を運んで高遠さんのような人の話を聴くこと!(60代・男性)

● 高遠菜穂子さんの力強いお話に涙をこらえながら聞いていました。家だったらタオルを持って泣きながらだったと思います。このごろ「あきらめ」ていて「無力感」でとても情けない気持ちで過ごしていました。今日は、はずかしいと気付かされました。本当にありがとうございました。感謝です。(60代・女性)

● 危険なイラクで全精力をかけるエネルギーはどうして育ったのか。憲法9条の裏で着々と進む安倍政権の戦争姿勢にもっと敏感に反応しなければならない時と痛感。(70代・女性)

入場者195人中56人からのアンケート結果
◆ 1部で良かったと思われるもの
1、勇音太鼓 34-61%
2、前文と九条の朗読 35-63%
◆ 2部の「高遠菜穂子さんの講演は
1、大変満足 36-64%
2、満足 11-20%
3、どちらとも言えない 4-7%
4、不満 0-0%
◆ この催しを何で知りましたか
1、チラシを見て 13-23%
2、知人に誘われて 27-48%
3、高島平新聞を見て 4-7%
4、その他 11-20%
◆ アンケート回答者の年代
1、20代 1-2%
2、30代 2-4%
3、40代 4-7%
4、50代 2-4%
5、60代 31-55%
6、70代 15-27%。
2015.4 「沖縄基地問題県民の立場で」・・・ 山名 泉(自由通信第5号)

先月初旬、初めて沖縄へ行って来た。
首里城などの観光地も訪れたが、辺野古のキャ ンプ・シュワブのゲート前にも行ってみた。
その日も多くの人たちが抗議テント周辺に集まっていた。

沖縄県民の多くが「これ以上基地を増やしてアメリカの戦争に巻き込まれたくない」「沖縄に基地があることが沖縄の経済発展を阻害している」と訴え、普天間飛行場撤去、辺野古の新基地建設反対を唱えることは至極 当然のことではないだろうか。

思い出されるのは、1945年6月、沖縄戦で 敗れて自決する前に、太田実司令官(中将)が海軍次官宛てに打った電文の最後、「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」だ。
安倍自公政権は70年前の太田司令官の遺言に、少しでも思いを寄せるのならば、すぐにでも沖縄県民の意思に添うべきと強く思う。

「国民多数の声を無視する安保法制(戦争立法)を許すまじ!」・・・ 池田 剛
(怒り渦巻く国会書面前)

共同通信社が3月28~29日に実施した世論調査によると、
戦争立法というべき集団的自衛権の行使のための安全保障関連法案を5月連休明けに、国会に提案し、成立させようとする安倍自公政権の方針に、ほぼ半数の49.8%が反対している。賛成の38.4%を10ポイント以上離しているが、私には、反対が以外と少ないと思えた。

この戦争立法の企ては、憲法九条を変えて、いみじくも安倍首相が自衛隊を「わが軍」とよんだように、自衛隊を国防軍とし、アメリカ軍と行動をともにして、世界に打って出ようとする企てにつながると考えている人が多いと判断していたからである。

同世論調査によると、安倍首相の「70年談話」に「植民地支配と侵略」への「反省と おわび」を盛り込むべきと回答した割合が最も高かったのは30代女性の64.9%だった、とも報じている。
この調査結果からも、アピールと運動を工夫し、今国会での法案通過阻止の闘いを高島平でも広げていきましょう。
運動の一つの工夫として、昭和の戦争(1931~45年までの15年戦争・日中戦争・ アジア太平洋戦争)の実態報告を提案したい。

戦争には加害と被害がある。 安倍政権が登場してから、旧日本軍が中国で朝鮮でアジアでおこなった侵略戦争の実態を学校で学習することを「自虐史観」として禁止する動きを強めている。
結果、若い教師 の間では、「侵略」という言葉は使っていけないのでは、という事態が起こっています。
報告したい項目には、国家総動員法・大政 翼賛会・治安維持法・軍事教練・学童疎開。南京事件・三光作戦・創氏改名・皇民化教育・日本軍「慰安婦」問題などをあげたい。

2015.5 「ヒューマンチェーンに参加して」・・・板場 郁子
(解釈改憲に反対する人の波)

最近の政府の動向に、居ても立っても居られない気持ちです。今、自分の意志をはっきり示さないと、後々きっと後悔すると思い参加しました。他の方々も同じ思いだったのでは ないでしょうか。

インタビューに答えたように、私には孫が2人います。6歳の女の子と3歳の男の子です。
これから様々な夢を持ち育っていく孫や日本中の子供たちの未来の為に、日本は平和でなければなりません。 他の国の戦争に巻き込まれ、日本人が誰かを殺したり誰かに殺されたりする国であってはならないのです。
戦争で犠牲になった310万人の方々の為にも「過ち=戦争」は繰り返さないという反省を基につくられた憲法を、憲法9条を守っていかなければと思います。

戦後69年もの間、日本が平和でいられたのは憲法9条があったからであり、それは世界に誇ってよい事だと思います。
その大切な9条をないがしろにしてはなりません。自分の家族はもちろん、自衛隊員も、誰ひとり殺されたくないのです。

政府は集団的自衛権の行使を言う前に、まず「自衛権の行使を必要とする脅威」を作らない努力、取り除く努力をしてほしい、と同時に、<憲法を、9条を守ってほしい>と改めて強く思った次第です

2015.7 「非武装の抵抗」・・・ 倉谷順一 (自由由通信第6号)

平和憲法=9条を持つ日本を攻めてくる国があるのか? 
今の国際情勢を考えると私には考えられない。たしかに北朝鮮の恐怖政治とミサイル、中国政府によるチベット族やウイグル族にたいする弾圧は他国の国内問題だからとか、海洋進出は当事国ならずとも憂慮すべき問題だ。
しかし安倍政権がすすめる戦争立法はこれらを口実にしているだけで、本音はすすんでアメリカの起こした戦争に参加することだ。

米ソの冷戦時代に「ソ連脅威論」があった。武器を使った熱い戦争でないが「・・・戦」という字が付く分、当時はソ連が攻めてくるという話は、それなりに「現実味」を感じた人が多かったようだが、実際にはあり得ない話だった。しかし国際環境が整い国民合意のもとで 非武装になったとしても、それでもなお日本が“絶対”に攻められることなんか“絶対”ない、と言っても“絶対”はないかもしれない。

伊藤塾の塾長・伊藤真弁護士が以前「時間を決めていっせいに音を出し、抗議の意思を 示すのも一つの抵抗の方法」という趣旨の話をしていた。
形態は違うが南米・チリではかつてピノチェト軍事独裁政治のもとで民衆は非武装で抵抗した。
毎月4日の「反軍政国民抗 議デー」広場に通行人を装って集まった人たちが決められた時間になると、いっせいに「民主化万歳!」「軍政は去れ!」「私たちに自由を!」と叫ぶ。手拍子をしながら「ピノチェト打倒!団結した人びとは勝利する」「パン、仕事、正義、自由!」と叫ぶ。もちろんそんな行動に対する警察の弾圧はし烈きわまるが屈しない。

抵抗の方法には「電話 作戦」もあった。その日の午前10時、全国の家庭や企業の電話が鳴る。無差別電話だ。相手が出ると「ピノチェトは去れ、自由チリ万歳」と叫んでガチャンと切る。抵抗のシンボ ルの歌・ベートーベンの第九「歓喜の歌」、これをレストランのボーイが口ずさみながら食事を運んでくる。タクシー運転手がハンドルを握りながら歌う。露店の笛売りが奏でる。主婦が抗議の意思を表す「ナベたたき」の音が、あちこちに響く。
国民生活は疲弊し国際的な批判も高まるなか、保守で反ピノチェト派が1989年総選挙で 勝利し翌年、チリ人民は17年ぶりに民主主義を手にした。

2015.10 「お遍路さんの里で」・・・菅原 優 (自由通信第7号)

今年も彼岸に高知県土佐清水市に帰省し墓参りをしてきました。
大雨のため土讃線が不通となり高知駅で一日足止めされました。高知はよく雨が降るところで、2~3日続くこともたびたびです。クスノキやトチノキの幹には苔が生えているのをよくいかけます。

土佐清水市には四国遍路88ケ所の札所の38番、「金剛福寺」が足摺岬の根本にあり、37番の四万十市「岩本寺」からの距離が長くお遍路さんを苦しめていると聞きます。
昔から土佐の「いごっそう」(頑固な「男性」)「はちきん」(男勝りな女性)といわれてきましたが、高知は自由と民権発祥の地とも言われ、平和や民主主義を大切にする気風があるように思います。

「とさしみず9条の会」の活動は活発のようで、2006年、全国に先駆けて憲法改悪反対・9条守れ署名の有権者過半数を達成した。
今は「頑固で気骨ある高知の心意気で安倍政権の暴走を阻む」と決意を新たにしています。のしんぶん赤旗記事が印象に残っていました。

実家の前が漁港で、亡き義父も漁師した。晴れた日には10分も歩けば太平洋からの日の出が見えます。
県道沿いを散歩すると道端 に2x3m以上もある「守れ憲法九条」の大きな立て看板が目につきます。
会のホームページによると、これまでに22本の立て看板を設置し、市内外の人から「改憲を通させぬ勢いを感じる」「9条の〝守り札〟じゃ」と評判です、とありました。
過疎化と限界集落が言われている中でも、 住民の過半数の署名は大きな仕事です。私たちも見習いたいと思いながら帰京しました。

「安保法制の廃止を求める大東文化大学有志の会学内集会」における発言内容要旨・・・松本 佳久

私が生まれて1ヵ月後に終わったので、戦争の記憶は全くありません。しかし、戦争経験者から悲惨な体験談を直接聞いた世代として、若い人たちへ伝えていく責任は強く感じています。
小さい頃、周りには戦争の爪痕がまだまだ残っていました。駅前や盛り場には傷痍軍人がたくさんいましたし、小学校のクラスには空襲で家を焼かれ防空壕の跡に住んでいて、そこから通学してくる友だちがいました。両親は「戦争はダメだよ、戦争だけはやっちゃダメだよ」が口癖でした。
父親に8月15日の玉音放送を聞いた時の気持ちを尋ねたら、「ホットした。とにかく生き延びた。殺されずに済んだ」と答えました。
負けて悔しいとか、負けて悲しいではなく、「とにかくホットした」でした。
「家の中が薄暗いと戦争中の灯火管制を思い出す」からと、いつも家の灯りをコウコウと点けていました。
戦争中は石鹸に不自由したとのことで、給料日の都度石鹸を買ってきていました。空襲で死んだ人を片付けている時、遺体の匂いがものすごくて、二三日食事がノドを通らなかったそうです。

「しかし、しばらくすると人間はそんな状態にも慣れてしまう。だから戦争は絶対してはいけないんだと」話してくれました。
日本ではあの戦争・先の戦争と言うと70年前まで遡らなくてはなりませんが、アメリカでは世代によって第二次世界大戦だったり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、湾岸戦争、イラク戦争だったりします。70年間ずっと戦争をしていて、今も戦争しているアメリカと同盟を強化して、海外へ自衛隊を 出すなどもっての外です。

イギリスの経済紙が発表している「2015年世界平和度指数」によれば、日本の平和安全度は162ヵ国中8番目だったそうです。 アメリカは94番目です。8番目に平和で安全とされている日本が、そんなに危険なアメリカの後方支援を買って出るなどとんでもないことです。
高島平九条の会は今後も戦争法無効の活動をします。

2015.10 「沖縄旅行」・・・貝吹 信子(自由通信第8号)

今回「高島平九条の会」のお仲間と9人で 沖縄を訪れました。
一人の主婦としての感想を書かせて頂きます。

辺野古新基地建設反対のテント村を訪れた時、反対運動の為活動する沖縄の人達の、とても強い意志と情熱をひしひしと感じました。
実際この目で見た美しい海にとんでもない危険なものを、この豊かな美しい自然を破壊してまでも造る必要があるのだろうか? 疑問に思い「島ぐるみ」で頑張って闘っている人達を心の底から応援したいと思いました。

又、普天間基地を高台から見て「ドーナツ型飛行場」の周囲に、住宅が在り人々が普通に生活している。とても危険な地域、私はとても恐怖を感じました。
そして沖縄にアメリカの基地は(もちろん日本の何処にも)必要ないのではと私は思うのですが、訪れる場所々で重い気持ちになり腹が立って仕方がありませんでしたが、夜、仲間たちとあれやこれや語り合いながら沖縄のお酒を飲み、美味しい郷土料理を食べられたことは楽しい一時でした。

今回の旅行は私にとって、とても有意義な旅となり実際に見聞きして得た事がいかに大切であるかという事を学びました。

「漢字でみる悠久の歴史」・・・倉谷 順一

過去と現在、漢字を使用していた(している)国は日本をはじめ韓国、北朝鮮、中国・台湾そしてベトナム。
日本語の「ありがとう」は感謝の気持ちを表すが、同じ漢字圏の他の国では韓国「カムサハムニダ」中国「シェシェ」ベトナム「カムオン」よく似ている、などと言ったら笑われるだろうか。

しかし、カムサハムニダの「カムサ」は「感謝」、つまり「感謝します」。シェシェは「謝謝」、謝は「お礼を述べる」謝意、感謝等の意味。ではベトナム語の「カムオン」とは何だろう。「感恩」つまり「恩を感じる」。
今、北朝鮮やベトナムでは、漢字は使っていない。 韓国も人名以外ほとんど使わないようだが、 日本語によく似た発音はたくさんある。
コソ? トロ(高速道路)、ムリョ(無料)なども似ているが、カグ(家具)、カンタン(簡単)、オンド(温度)、カチ(価値)、シミン(市民)、キオン(気温)となると日本語そっくりだ。悠久の歴史を感じる。

先の大戦でこれらの国に筆舌につくせない 被害を与えた日本。過去の悪行を認め、謝罪し、二度と同じ過ちを犯さないと誓うことが求められている。
なのに「集団的自衛権」などと馬鹿げたことを言っている時ではない。

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