(その2)
時は初夏、終戦3年目の品川駅の改札口。今か今かと待ち侘びる父、姉(雪子)、兄(繁樹)、そして中学三年の私、お隣の桑原さんの御主人。改札口の向うは、現れた長男太郎、真黒に日焼けした丸ろやかなほゝ・・・私は突き上げる衝動に泣いていた。
「よくもマア~極寒のシベリアで3年も」 「生きて帰るなんて、本当に…」 迎えに来て、私達は手を握り、肩を抱き、泣いた。「泣くなッ!」と大声で太郎兄は言う。そのくせ、目から涙。
こうして私達、石倉家は本当の終戦を迎えた。 私は生涯この事を忘れなかった。生き方を固める一つの縁となった。
(その3)
止めよう!イキナリ、ミサイル戦争。 戦争がイキナリ始まる。マサカ?ホントです。ミサイルが頭上に、という事がその前に、こちらから先手を打ってミサイル攻撃を・・など。
安倍内閣が強行した「戦争法」がある。岸田内閣が勝手に決めた「安保3文書」がある。 そして43兆円(5年間)の軍事費が準備されている。
アメリカが起こす戦争に自動的に巻き込まれる。早くこのことをみんなに知らせ平和のために努力を・・・共に!
ここで描かれた「事実」の背景には安倍政権によるマスメディアへの、あからさまな、あるいは陰湿な干渉があったということを改めて思い起こさせました。
今、新宿ピカデリーほかで上映されている 『妖怪の孫』(内山雄人監督)は、妖怪(岸信介元総理)の孫としての安倍晋三といいう人物の<酷さ>が描かれています。
安倍政権時、テレビ 番組に対して行ったさまざまな干渉については、つい先日の国会で大問題になったことで大分明らかになりました。
でも このような事が明るみに出たのにメディアの取り上げ方はまだまだ及び腰で、ジャーナリズムとしての反撃は余りにも弱いと思っています。
そういった中でこの映画は、安倍晋三がマスメディアに対して行った事だけでなく、地元の下関で選挙妨害を暴力団に依頼したことや、このことを取材していたジャーナリストが新宿駅の階段で転落事故を起こしたこと、そして元通産官僚の古賀茂明氏や匿名の官僚などの安倍政治に関する証言なども伝えています。
武蔵大学教授である永田浩三氏によると「新宿ピカデリーには、さまざまな嫌がらせ電話が入るそう」です。統一教会や日本会議につながる連中がやっているのでしょう。
3月31日の午前中に新宿ピカデリーで見たのですがほぼ満席で、上映終了後には拍手も起きました。
ぼくは、「もう見たよ」と松本佳久さんに言われ慌てて観に行った次第ですが、星夫妻にもバッタリお会いしました。
右翼の圧力に劇場が怯まないように、ぜひみなさまも『妖怪の孫』を見にお出かけ下さい。
5年ぶりに「九条の会全国交流集会」が5月28日に日本教育会館で開催され、高島平九条の会から7名の会員が参加しました。
九条の会呼びかけ人の一人であった大江健三郎さんが今年3月に逝去されたことを受け、「大江健三郎んの志を受けついで」がテーマに掲げられました。
最初に事務局長の小森陽一さんが大江さんとの思い出を語った後、国是の「専守防衛」を捨てて軍拡のための大増税を強行する岸田政権に対し、反対の声をあげる必要性について話されました。続いてリレートークで23人が各地の活動を報告しました。
「全国首長九条の会」平尾道雄・滋賀県米原市長は非核・平和を祈念するモニュメント「平和の礎」建立の取り組みを紹介、埼玉県の「渓流9条の会」は、「右手に釣り竿、左手に憲法。平和がなければ釣りができない」のスローガンで、楽しみながらの活動を紹介しました。私たちも自治会の夏祭りに参加し、住民・特に若者に対しアピールをする、など会員の新規開拓に工夫が必要だと痛感しました。
中小業者団体の全国商工団体連合会(全商連)や全国労働組合総連合(全労連)をはじめ多くの団体やグループが協力した。
翌日、日本共産党の「しんぶん赤旗」は1面トップで報じたが、大手メディアはほとんど無視。導入されてから「詳しく解説」するつもりなのか。
6月22日にはアニメーターや声優などエンタメに関わる人たちが日本外国特派員協会で会見を開き、海外に発信した。大半が個人事業主の声優業界に身をおく岡本麻弥さんは涙ながらに「正解のないボタンを押せと言われています。そうなれば私たちはそっと消えていくだけです。どうか助けてください」と訴えた。
声優業界は年収300万円以下が72%、20~30代の若手は年収100万円以下が半数、インボイス導入で「廃業を検討」が約2割。アニメ業界でも若い芽が摘まれ「鬼滅の刃」のような作品ができなくなり、日本の文化が廃れてしまう。
このほかシルバー人材センターで働く高齢者、ヤクルトレディー、伝統工芸職人、飲食店、ウーバーイーツの配達員、プロスポーツ選手など影響が広範囲すぎて書ききれない❕
(国会正門前を埋める抗議の市民)
下地島には、民間機パイロット養成のための3千メートルの訓練飛行場・下地空港がある(今は民間機の定期便もある)。同飛行場に米軍と自衛隊の移駐の動きがあり、島をあげて「軍事利用は許すな」と反対の声があがり、当時計画は頓挫した。
ところが、今また同じ動きが懸念される。岸田首相は沖縄「慰霊の日」戦没者追悼式で「沖縄の基地負担軽減」と、壊れたレコード版のようにうたったが、いま進んでいるのはそれとは真逆。ロシアのウクライナ侵略や北朝鮮のミサイル発射、中国の動きをチャンスと見て、大軍拡。憲法違反の敵基地攻撃能力さえ持とうとしいる。下地島を含む南西諸島・沖縄は再び捨て石にされようとしている。
政府は「防衛費の増額は日本自身の判断」というが、2023年6月23日の報道で「日本は長期にわたり軍事費を増やしてこなかった、私(米・バイデン大統領)は日本の指導者(岸田首相)に、広島(G7広島サミット)を含めて3回会い、彼を説得した。彼もそうすべきだと確信し、日本は急激に軍事費を増やした」と語ったのは、米大統領バイデンだ(6月20日、米カリフォルニア州内での支持者の集会で)。
やはりそうか。
(日本一美しい海の下地島)
私は思いきって、前年のバスの中での彼の言葉を繰り返し尋ねたところ「そのとりである」と答えてくれた。
辺野古での座り込みを終え、帰りのお別れのバス下車直前「お元気で」と手を振ってくれた。
平和を愛する彼が、その後、お別れしたまま、時が過ぎ、お元気でいられるのかと、心痛めて居ります。
今こそ「戦争ではなく、平和を」の声を!、“大軍拡反対!憲法改悪を止めよう!”をスローガにした「九条の会大集会」が「中野ZERO」ホールで開催されました。
平日夜の集会なのでどの程度参加するのか主催者は心配していたようですが、参加者は1,200名で2階席までほぼ満杯でした。
強い北風が吹き出し急に寒くなった晩でしたが、会場は参加者の熱気で大いに盛り上がりました。
この集会はに高島平九条の会のメンバー数名が準備段階から関わっており、当日も会場係や撮影係で汗を流していました。
九条の会呼びかけ人で唯一ご存命の澤地久枝さんが着席したままの挨拶「日本全国にある『九条の会』が最後の砦となって日本国憲法を守っている」、九条の会事務局長小森陽一さんの主催者挨拶「岸田政権はあらゆる手段を使って、日本を軍事大国にしようとしている」その後、田中優子さんの「岸田首相の軍拡・改憲に反対する声を!」、中野晃一さんの「改憲・軍拡」でなく『安心供与』を」のスピーチが続きました。
演歌師で芸人九条の会の岡大介さんの「カンカラ三線」をはさんで、千住九条の会の中田順子さんなど市民によるリレートーク、総がかり行動実行委員会青年プロジェクトチームの元気な発言があり、大成功のうちに散会しました。
中野ZEROホールでの大集会は、久しぶりに「やってて良かった」と九条の会活動に誇りを持てた集会だった。
当日は、スタッフの一員として、ホール入口付近での警備と案内係を担当した。だから、会場内の様子は、後日にビデオで知った。
参加者は、私と同年配(76才)かそれ以上の人たちが多かった。普段なら、高齢化による活動の衰退を感じさせられてショゲ返るところだがこの日は違った。
参加者の目の輝きが違っていたのだ。疲れ切った老人の目つきではない、怒りと、活力に溢れたイキイキとした目が多かったのだ。
思い過ごしかもしれないが、少なくとも私にはそう思えた。
会場の受付は階段を上った2階にあった。杖を突き、支え合いながらも一歩ずつ確実に階段を上る高齢者たちの姿には、「戦争はさせない!9条を守る」との強い意志が感じられ頼もしかった。
階段周辺が混雑して、一時心配な状況になった。「受け付けは4カ所ですので、4列に並んで階段をお進みください!」と声をからして誘導したが、流石は九条の会の会員さんたち、足取りは弱弱しくも列を乱すようなことはなかった。
1200名からの参加者があったのに、エレベーター使用を依頼されたのは、わずかに十数人。老いてなお盛ん、九条の会はまだまだ健在だ。
この集会で、この国の平和を守ってきたのは「9条」があったからだ、と確信を深めた人たちは多かったはずだ。今の危機的情勢下だからこそ「9条」が生きるのだとも。
中野駅から、腰を曲げ杖を突きながら、遅れたことを悔しがっていた90代老婦人の存在は、まさに「九条の会活動の豊かさ」を感じさせるもの。彼女から、戦争止めたいとの熱意が伝わる。
9条は世界中で愛される飲みやすいワインのようなもの。だから今だからこそ飲み頃。九条を味わいながら話し合えば、争いはなくなる。賞味期限はない。だから9条はいつも旬。
夜中、「空襲けいほう―!」大声。連呼。「穴さへーレッ!」。狭い壕の中は身動きもならない 今日は来るぞ”みんな思っていた。
釜石が「米軍の艦砲射撃で壊滅した」という話を聞いたのは数日前だ…
頭上に重々しいゴーッと音が拡がり大きくなって来た。シューッという音と共に明るい光が降りて来て周りは明るくなる。〝ドーン〟体をゆする大音響と火柱がふき上がる。〝ドーン〟音が近づく〝ドーン〟〝ドーン〟目の前だ。「逃げろ!」誰かゝ叫ぶ。みんないっせいに壕を飛び出した。「逃げる」・・・・・・・・・・・
6年生のボクは父と手をつないで走っていた。両側の家が炎を上げている。炎をかいくぐるように走る。落ちてくる焼夷弾が体をかすめ、背後から爆風が襲ってくる。前にも後ろにも、同じ方向に走る人達がいる。
広瀬川のほとりに辿りついた。目の前の女学園は巨大な炎を上げていた。川の岸壁にある横穴防空壕に行って見ると、すでに人が居た。マッ暗。手さぐりで中に入り一息ついて、へたりこんだ…。しばらくしてスサマジイ地獄の音が急になくなり静かになった。「死んだ人、生きた人」・・・・・・・
明るくなった「出て見るか」目の前に拡がる光景に言葉がなかった。見渡すかぎり、一面の焼け野原。煙がくすぶっている。叫び声をあげて走って来るのは、二人の姉だった。泣きながら抱き合う。義兄が来た。その背中におぶさっている3才の甥も無事だ。「良かった」「帰ろう」その足は自ずと、自宅に向かっていた。
しかし帰り道には焼け死んだ人達が…。累々と横たわっていた。突き上げる衝撃…。家は残っていた。運が良い。「まるで生きているよう」・・・・・・
仙台は蔵の町で、あちこちに蔵があった。この蔵に逃げこんだ人達は助からなかった。蔵の頑丈な扉を開けて見ると、中にいる人達は座ったまゝ「まるで生きているよう」に見えたが、死んでいたという。クラスで親しかった、友もこうして死んだ。ボクは涙がとまらなかった。
「2度と戦争はダメ、9条を守る」・・・
昭和20年7月10日午前0時5分、B29爆撃機123機が仙台上空に侵入し大量の焼夷弾を投下した。その数912トン。死者は1,000人を超え被災者は57,000人を越えた。
今また43兆円という軍事費が準備され戦争の危機が…。
戦争は絶対だめ!平和のために闘い、9条を守りましょう!
政府は危機感を煽るが、中国が台湾をどうこうすることは中国国内の問題で、日本とは関係ない。ではなぜ軍備増強か。中国が台湾に対して軍事行動をとれば、戦後朝鮮戦争やベトナム戦争を始め、他国と戦争を続けている世界の憲兵・アメリカが黙っていないからだ。
米軍が沖縄から日本から出撃すれば当然出撃基地は攻撃の対象となる。日本からの出撃を日本政府が許可しなければすむことだが、アメリカにものが言えない日本政府。戦争をしないと憲法で決めた日本。平和の外交で戦争をする国に絶対してはならない。
1980年代から台湾へは20回ほど行っています。
9月末、5年ぶりに訪台しました。妻と友人二人(女性)の4人でした。台北に4泊して、旧知の国立台湾芸術大学映画学科の元主任教授(80代)と現役の教授(40代)にもお会いし旧交を温めました。また20年ほど前に台北で開催された「アジア太平洋映画祭」で東京(日本)代表団団長の通訳を担当し、それ以来知り合いとなった女性にも今回もいろいろ世話になり、会食したり懇談したりしました。
観光では、台北郊外の「十分」へ初めて行きました。
ここでは電車の線路の上で願い事を書いた風船を上げるのが名物で、知ってはいたのですが初訪問で「風せん揚げ」にトライしました。風船には4面あるのでその1面に「九条を世界に」などと書き込みました。
また改めて感心したのですが、台湾では電車に乗ると若い人が席を譲ってくれます。妻は白髪ゆえか、乗車すれば必ずすぐに席を譲られました。日本でいう「シルバーシート」は「博愛座」という表示ですが、とにかく年寄りに対する「博愛」精神は見事なものでした。
このところ日本では中国との関連で「台湾有事」がひんぱんに語られますが、旅行者として見たところでは以前と変わった感じはしませんでした。そして知人・友人たちとは、あえてそのような話しはしませんでした。
「最後の訪台かな」と思っていたのですが、もう1回くらいは行ってみたい!と、帰国して思いました。
東北の一角で小さな歌声サークルを作った私達。会場も商工会議所の空き部屋から保育園、お寺の本堂などを点々とした。そして、いつの間にか毎年、磐梯高原で「五色の集い」都市と農村をつなぐ平和と友情の集いへと発展し毎年3000人の人々が集った。この集いは40年間つづけられた。
歌うことは、こよなく楽しい。若者たち・かあさんの歌・四季の歌など次々と歌われ、最後は原爆許すまじでしめくくられた。キャンプファイヤーを囲みながら暮らしについて、平和について語り合った。歌は人々をなぐさめ喜びや勇気を与えてくれる。
平和の輪を広げ世界中から差別や貧困・戦争をなくしていこう。
どの国の人も、どんな人でも安らかな一生を終えることができるように努力しよう。
まずは、“原爆を許すまじ”を高らかにうたい続けよう。